海を渡った高木先生

Mrs. Meow Meow at Taipei Airport


台湾の玄関口である桃園国際空港には、現代アートが其処此処に配置されていて、訪問者を楽しませてくれる。ターミナルには巨大なおもちゃの飛行機がぶら下がっていたり、若手アーティストのギャラリーもあった。

イラストにしたのは、空港からバスターミナルにつながる出口で待ち構える「猫猫小姐」という作品。ちょっとブキミですが、台湾にあふれるエネルギーの化身が笑っているようで、僕はいっぺんで友達になりたくなった。

日本による50年もの統治時代があった台湾。その時代に作られた建造物はいまも沢山残っていて、いまにつながる歴史を深く感じさせられる。 台湾農業の父といわれる八田與一による烏頭山ダムのように、今もなお台湾の社会基盤を支えているものも少なくないのだ。

最近、日台の間でとても感動的な再会のドラマが実現した話を朝日新聞の記事で読んだ。1939年までの12年間台湾の烏日公学校(現小学校)で1、2年生を教えていた高木波恵先生が、二度と会うこともできないと思っていた当時の教え子たちと再会できたのだ。 先生は106歳の高齢で、教え子たちも80代後半という。

今年公開された映画「KANO」(☆1)を見て、台湾のことがたまらなく懐かしくなった高木先生は、かつて文通をしていた教え子の楊さんに手紙を出した。ところがそこはもう新しい住所に変わっていて、楊さんの居場所がわからない。あやうく返送されてしまうところだった。しかしその分厚い封筒を「何か大事な手紙に違いない」と、若い郵便局員が訪ね歩いて宛先をさがしてくれたのだ。これをきっかけに、楊さんは当時の同級生たちをさがしはじめて、20人ほどを突き止めた。

高齢の高木先生は、実際に台湾まで出かけることはかなわない。台湾の同窓生たちはネットによるテレビ会議などで対面できないかと行政当局などに支援を求めていた。そこに手を差し伸べたのが、ネット会議サービスの「ブイキューブ社」の間下社長で、日台双方で技術や機材を提供してくれた。こうして、この9月8日に、台中市の烏日小学校の講堂で、高木先生と教え子たちの約80年ぶりの再会が実現したとのこと。ほんとにいい話ですね。(☆2)

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☆1:映画「KANO」
戦前に台湾から夏の甲子園に出場して準優勝した嘉義(かぎ)農林学校の活躍を描いた作品。この作品の中で、嘉義市のひとびとが大勢ラジオの周りに集まって声援を送るシーンがある。高木先生もこの時、現地でラジオ中継を聞いて応援していた。

☆2:
朝日新聞5月9日(土)夕刊記事「元小学校教諭、70年以上前の教え子に手紙」
および、同・9月9日(水)夕刊記事 「手紙がつないだ80年ぶりの対面」より
一生懸命に宛先の楊さんをさがしてくれた若き郵便局員、郭柏村さん。彼の誠意あふれる仕事ぶりは台湾でも美談としてメディアで取り上げられた。


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