地獄のドキュメンタリー

ビデオが出来て以来、家族の記録を撮ることは当たり前なこと。でも、自分の夫が破産寸前で発狂しそうなところを記録するとなると話は別だ。


映画史に残る大作「地獄の黙示録」をフィリピンで撮影する際に、コッポラ監督は、現地で家族とともに暮らす決断をした。「学校に預けたままにしたら、子供たちが凡庸な人間に育ってしまう」というのがその理由。

そのため、奥様のエレノア・コッポラも、300日にも及ぶ苦難の撮影の日々をともにした。撮影については完全なシロウトだった、エレノア夫人は、ひょんなことから、16ミリカメラを持たされて、本作のメイキング・ドキュメンタリーを撮影することにもなった。

そのフィルムは、たった数分間のメイキング映像として使われるだけの予定だった。しかし撮影の12年後に、それは驚異のドキュメンタリー映画「闇の奥(Heart of Darkness)☆1」として注目を集めることになる。夫のフランシスが恐怖とプレッシャーに襲われ、苦難に満ちた撮影の日々につぶされそうになる姿を、淡々と16ミリフィルムに収めた。

そのままであれば、ただの映像メモの切れ端になっていた、その映像が、ハリウッド映画製作の真実の姿を伝える傑作ドキュメンタリーに化けたのはなぜか。

その「鍵」は、エレノア夫人が、撮影の現地フィリピンから、米国の母や友人あてに送った「手紙」にあった。当時、彼女は苦しい外国の生活で、友人や家族とのコミュニケーションに飢えていた。それをまぎらわすために、日々の印象を短い手紙に書いて送っていたのだった。エレノア夫人はそれを、「ちょうど日々のスナップショット」のようなものだったと語る。いまでいえばまさにFacebookへの投稿のようなものだ。

それらの「手紙」はいつしか、大量な撮影記録手記となって蓄積していった。1980年、そしてそれは「ノーツ - コッポラと私の黙示録」という形で出版された。この本はいまも、映画を学ぶ学生たちにとって、映画製作のプロセスを知る格好のテキストになっているらしい。(☆2)

撮影終了後、何度も編集されたのに、「ダメ」をくらっては倉庫行きとなっていた、エレノアの「記録映像の断片集」は、12年後にこの本の内容をもとにして再編集されることになった。長期にわたるポストプロダクションを経て、完成したのが驚異のドキュメンタリー「闇の奥」なのである。テレビ放映の後、劇場公開もされた。コメンタリーは、あえて女優の声は却下して、エレノア本人のものとなっている。

本作が比類なき映画ドキュメンタリーと言われるのも、こうしたプロセスを知れば当然のことかと思われる。

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☆1:「地獄の黙示録」の原作「闇の奥(Heart of Darkness)と同じタイトルである。
☆2:「ノーツ コッポラと私の黙示録」エレノア・コッポラ著 / 原田真人・みずほ訳(1980)



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