改良してはいけない

近所を散歩していると、紅色のカンナよりも黄色のカンナの方が何故かよく目につく。群生しているのは、ほとんどが黄色だ。


自然界のカンナは、紅色よりも黄色の方が優勢なのだろうか。それとも、紅色のやつは、綺麗なので人間が採取してしまうのだろうか。この絵のカンナもひとりぼっちだった。

千葉市の中央公園で大人気となっているハス池のことで、びっくりするような話を聞いた。あれだけ沢山咲いていたハスも、冬には全て取り去られて、さら地ならぬ「さら池」になってしまうのだとか。

ええー、なんでそんな勿体無いことするの、と仰け反った僕に、千葉県在住の友人が言うには、それは「種を保存するため」に必要なのだとか。

千葉市のあのハスは、「大賀ハス」と言って、大賀博士が弥生時代のハスの種から発芽させたもの。その貴重な品種も、自然界で放って置くと、いつか自然交配の中で失われていく。

だから、池でせっかく種をつけたハスも、ぜんぶ引っこ抜く。そして、来年になったら、保存してある純正の「大賀ハス」の種を植え直すということだ。もったいないような気もするが仕方がない。

品種というのは「改良」されるものばかりと思っていたのだが、「改良しない」ということも、時には大事なんだ。

このところ、秋の気配が色濃くなり、植物たちの風情も変わっていく。急に顔を揃えたかと思った曼珠沙華は、もう枯れ始めているし、威勢良く並んだヒマワリも、さすがに店じまいみたい。

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大賀ハスのことはこちらにも書きました

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