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9月 13, 2015の投稿を表示しています

30年ぶりの市長就任

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参院でついに安保法案が可決されようとするその時に、まったくどうでもいい話で申し訳ない。珍しくあるゲームにはまった。[ SIMCITY BUILDIT ]といい、伝説のゲーム「シムシティ」の最新版らしい。
「シムシティ」は、それを遊ぶためだけに、当時20万以上円もしたマッキントッシュを買いたいと思うほど、素敵なゲームだった。アップルⅡで、ウィザードリーなどロールプレイングの洗礼を受けた僕たち世代が、次に出会ってびっくりしたのがこの「シムシティ」だった。
その後ゲームは、フォミコンからプレステなどへ進化してリビングのテレビを占領していったが、この頃に登場したゲームのエッセンスやアイデアは、いまも全てのゲームにひきつがれているように思う。
仕事も忙しくなってきた僕は、ゲームを手にする時間がなくなっていった。だが、このエレクトリック・アーツ社によるシムシテイのシリーズだけは、常に視野のどこかで気になる光を放つ存在であった。

その後何回か、後継シリーズに触れてはみたが、そのいずれも初代バージョンに匹敵する高揚感感覚は得られなかったのだ。だから今回も、半信半疑で「とりあえず」という感じで、ダウンロードしてみただけだったのだ。グラフィックがすごいのに、動きにストレスもない。都市計画の数字を微妙に調整するスリルが、初代「シムシティ」に似ているぞ。市長に就任して、すぐに30年前の興奮を思い出してしまった。

しかし、何か?が違う。

「父さん、アプリ内課金は払っちゃだめだよ。きりないから」ダウンロードしてからすぐに息子から注意された。

「カキン?」
「まさかそんなワタシがそんな手に乗るもんかい。シムシティならお手のもんだから課金なんか使わなくともぜんぜんオーケーだよ」

ところが。ところがである。
やはり、最近のアプリというものは凄い。
市長就任後の顛末は次回またご報告(๑•̀ㅂ•́)و✧




せこくなっても当然だ

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昨晩のブログで、うっかりいまどきの高校生に苦言を呈するようなことを書いてしまったところ、FBのお友達諸子よりさっそく冷静なるコメントをいただいた。
「いまどきの高校生がもし、こころざしが低く、夢もちいさいというならば、それはまさにいまの大人(つまり僕のこと)のせこい生き方を真似しているだけなのではないか」
たしかにそうだった! 子は親の鏡というではないですか。いまの高校生とは、まさに僕たち大人を映す鏡だったのか。まったくそのとおりだ。オトナがせこいんだから、高校生がせこくなっても当然だ。やっちまった。
それでは、と考える。 僕たち大人は、いつからこんなに保身的でせこい生き物になったのだ?
やはり思い出すのは構造改革と自由化の時代。生産性とか効率化とか言っているうちに、終身雇用や年功序列といった古い秩序が消えていった。心安かった社内がいつのまにかギスギスしてきた。雇用の自由とかいっているうちに、正規雇用からあふれて沢山の若者がフリーターとなるようになった。競争社会、格差社会という状態が定常化していった。
うっかりすると、落ちこぼれてしまう社会。そういう社会では誰もが、生き残りのために慎重にならざるを得ない。バブル期に至る高度成長期に、みんなが大きなことを言っていられたのは、実は社会が安定して将来の心配が少なかったからなのかもしれない。将来が保証されていたから、誰だって無責任にでかいことも言えた。
誰もが先行き不安な現代。将来の夢がせこく小さくなって当然。ああ、だんだん考えるのが嫌になってきた。そういう時代だけど、僕たち老人はあくまで元気にいきたい。こんな言葉もある。
「老い去れば、自ずから万縁すべて尽きる」 「なんぞ人の是、人の非にかかわらん」(☆1)
中国の古い教えです。おじいちゃんになったら、こういう世間の考え方とは別に、自由闊達に生きることができるっていうんですね。老人の特権ということだそうです。せいぜい自由で元気で無茶やって、若者への手本となるジジイになるのだ。よっしゃー。(๑•̀ㅂ•́)و✧
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☆1:酔古堂劍掃(すいこどうけんそう)巻五
「老い去れば、自ずから万縁すべて尽くるを覚ゆ。那ぞ人の是、人の非に管らん」


年老いていけば、自然に世間とのつながりが切れていくように思われる。 かくなるうえは、…

大丈夫か高校生

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職業柄高校の教室にお邪魔して高校生とお話することがある。大学の先生の「出張講義」というものである。その際には、せっかくなので「将来はなにになりたいですか?」とか、「そろそろ進路は考えていますか?」などと、高校生に聞いて見ることにしている。
しかし最近は、彼らの答えには「ん?」と、ひっくり返りそうになることがある。分をわきまえた答えというのだろうか。夢のない、ちいさく現実的な答えばかり。
君たちって、まだ高校生だよね...  高校生というのは、もっといい加減というか、適当でいいから、大きな夢を追いかけていても許される年代ではないの?
「医療に携わって人を助けたい」とか、「芸術に関わりたい」あるいは「世界の紛争地で平和のための活動をしたい」など、僕としては「お前そんなこと言ってるけど、そんなんで本当にやれると思ってんのか?」みたいに突っ込んでみたい。こっちが突っ込める、そんな無謀な夢を聞いてみたいのだ。
それが、返ってくる答えというのは「とりあえず進学したいと思います」「公務員ならば安定していると思います」「やはり資格をとったほうがいいと思います」みたいな、つまりちゃんと食べていけるかどうか、そこを気にしているような、突っ込むどころか、フォローのしようもない、そんな答えが返ってくることが多い。
君たち、一体いつからそうなったの?夢を追いかけていた子どもたちが、突然に現実を知ってしまった小さな大人のようにになってしまうのはなぜ。いったいどこの誰が、彼らの夢を消しているというのだろうか。
大象は無形なり。ほんとうに大きな人間の偉大さというものは、簡単には知る事はできないものだ。老子の教えです。「量ることができないくらい大きな人間になる」ということ。それは、いまの教育では、子どもたちの目標としてはもう意味をなさないのだろうか。

伯楽を待ちて後に至る

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このハスの花は、大谷池(おおやち)という、草津の遊歩道の脇にある池に咲いていた。オフシーズンには誰も通らないような場所なのだ。夏になるまで誰にも気づかれずに、静かに開花のための準備をしていたのだろう。
騎は自ら千里に至る者ならず(きはみずからせんりにいたるものならず) 伯楽を待ちて後に至るなり(はくらくをまちてのちにいたるものなり)☆1
どんなにすぐれた駿馬でも、自分でひとりでに千里を走るようになるものではない。伯楽のような人物がそれを見いだすからこそ、そういうことができるのである。すばらしい才能というものは、それを発見してくれる人物がいなければ発揮できないのだ。
先日、NHK・Eテレの「ようこそ先輩 課外授業」で、お笑い芸人の鉄拳さんが出演していた。パラパラ漫画は、「ふだんは気づかないようなものごとのウラ側」を知ることに通じる。それを優しいまなざしで子どもたちに教える鉄拳さん。ほんといい番組でした。
鉄拳さんはいま、パラパラ漫画の作品で世界的に評価されるクリエイターとなった。でも、これまでの鉄拳さんのキャリアは挫折の連続であった。もう、お笑い芸人をあきらめようとした時に、やっとのことでその才能を見いだしてくれるプロデューサーに出会ったそうだ。
この話は一見、偶然のことのように言われている。しかし僕は、偶然ではなく必然のことなのだと信じたい。鉄拳さんは「いつか見いだされるために」ずっとそこにいたのだし、大変な修行時代をくぐり抜けたときにには「誰かに見いだされる」ことが約束されていたのだと。
しずかに努力を続けた人を見いだす。
それが伯楽の役目なのですから。


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☆1:説苑(ぜいえん) 尊賢篇より
説苑は前漢に編まれた説話集。
書名は、人を説得するための話をまとめたものの意。