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9月 14, 2014の投稿を表示しています

この線を描くのに何年かかったか

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30年前に大流行した「ビックリマンシール」が復刻されて人気を集めているそうだ。


渋谷で「ビックリマン原画展」が開かれて、平日の初日にも行列になったらしい。 

当時、ビックリマンシールのキャラクターデザインを手がけていた、大坂のデザイン会社「グリーンハウス」のデザイナーさん。当時は当然ながら「手描き」だった。キャラクター太い線を、使い込んだペンで描いた。「この線を描くのに何年かかったか」というコメントが泣ける。 

いま、大学で学生さんたちにデザインを教えたりしてるのだが、手描きに挑戦しようというのは、ほとんどいない。よくてもタブレットペン。ガシガシ塗ったり消したりは、まだいいとして、ガシガシとコピペしたり回転したりレイアウトしたり。色だって、一気に変えてしまうこともできる。

 反則じゃんね。 

そう思うけど、それはそう思う僕が時代遅れ。手描きの時代にはもう戻れない。すべては、タッチパネルやペンタブレットから生み出される。そういう時代になってしまったのだし、もう昔に戻る予感はこれっぽっちも無い。

まもなく、ハサミものりも、ペンも鉛筆も使わない子供たちが育っていくのだろうか。

コップのバジル地球温暖化と闘う

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コップの中のバジル。
ちょっとだけかもしれないが、地球温暖化と闘っている。


アマゾンの中心に325メートルの巨大タワーが建設される。そんなニュースを新聞で読んだ。アマゾン・トール・タワー観測所(ATTO)と言って、その周辺の数百キロの範囲についてあらゆる気象データや、二酸化炭素の吸収量などを測定するのだそうだ。

ブラジルを中心にしたアマゾン川流域の熱帯雨林は、地球全体の気象変動に大きな影響を与えるほど巨大。しかし、そのアマゾンの熱帯雨林の年間消失面積は増加し続けている。うーん、とても心配だ。どうすれば、地球を温暖化の一途から救うことが出来るのか。

うちのテーブルに載って、葉っぱを広げているバジル君。この小さな葉っぱも、一生懸命に、二酸化炭素を取り込んで、光のエネルギーを定着してくれている。こんな芸当ができるのは植物だけ。人間は、まだその一部をちょっと真似できるだけ。

今日、僕がはきだした分の二酸化炭素も取り込んでくれるかな。
こんなに働き者なのに、ちぎってパスタに乗せたりしてごめん。

ケヤキの一生と超新星

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ケヤキの樹というものは千年以上生きることがある。
大学キャンパスにあるこのケヤキも、僕よりもずっと長生きするはず。ちょっとだけくやしい。


昨日の朝日の「科学の扉」で、一千年前に現れた超新星が、藤原定家の「明月記」に正確に記録されていたという話が紹介されていた。

現在観測されている、かに星雲の愛称で呼ばれるSN1054など、三つの超新星爆発のデータと一致するんだって。陰陽師の安倍家の記録を再録したものや、定家自身が観測したことが書かれている。とつぜん現れるので「客星」と呼ばれた。

一千年の時を越えて伝えられたって、何か超人的。地球から肉眼で見える明るさの超新星というのは、年間で数個程度しかない。定家が見たような、火星並に明るいものは滅多に出現しないそうだ。

残念ながら、これから残りの人生で、僕が超新星のに出会う可能性はとても低いのかと思う。でもケヤキ君、君なら見ることが出来るだろうね。超新星爆発。

マスカット・グリーン

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お隣からのいただいた、マスカットです。
自動車や家電にも鮮やかなマスカット・グリーンが使われるようになりました。グリーンという色は、僕たち人間を惹きつけて癒やしてくれる色ですね。


大学のキャンパスにも、沢山の樹木があるのですが、その中でもダントツの存在感があるのは、僕の居る建物の目の前の、三本のメタセコイヤです。20メートル近くあり、建物の8階の窓からその先端が見えます。

このメタセコイヤが、そろそろ葉を落とし始めました。冬に向けてエネルギーを作り出すよりも、寒さから身を守ることを優先する作戦ですね。足元に落ちているグリーンの葉を見ると、このひとつひとつが、エネルギー発生装置であることに改めて気づきます。

人間が地球上で使っている化石燃料の大半は、こうして樹木たちが何億年もかけて作ってくれたもの。このグリーンという色が自然界にあるかぎり、太陽の恩恵をエネルギーとして利用することができるのですね。僕たちがあまり欲張りなことをしなければですが。

リンゴの時計

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アップルです。でもこれは「和りんご」といって、りんごの原種みたいなものだそうです。友人が東宮御所で撮影して送ってくれました。


Apple Watch の発表のあと、いろいろとネットを見ていますと、この新製品の歴史的な価値や売れ行きの見通しなど、さまざまな議論がありますね。

僕自身は、とにかく「文字盤から、針もデジタル数字も消えた」時計であるということが、とても気になります。僕たちの生活をなんらかの形で変えてくれないか、ちょっと期待しています。

ウォッチというからには、あくまで「時計」であるのはずなのに、本来「時計」であることを示していた主要な部品がなくなっている。あるのはフラットなタッチスクリーンだけ。そこに、何か矛盾も感じるし、何か可能性も感じます。小さなiPhoneにベルトがついただけではないはず。